心理ケアの限定性を耐え抜く力

私は発達障害持ちの大学生です。
このブログは,生活の中で記録しておきたいと思った事柄をまとめて取っておくために開設しました。

私のプロフィールは以下の通りです。
発達障害ASDADHD

・大学生

・女性

ADHD薬 アトモキセチン服用中

発達障害者にとって、近しい環境にある当事者の語る情報がいかに有難いかを身をもって感じています。拙い記録ですが,似たような環境にある人にとって何らかの有益な情報となれば幸いです。

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心理ケアの限定性を耐え抜く力

カウンセリングや精神科による心理ケアにうまく乗っかるためには,「限定性に耐える力」 が必要なのではないか。最近そのように考えています。

私はむかしから心の調子が悪かったですが,精神科に行ったり,カウンセリングに行ったりすることは意味がないと感じ,心理ケアに乗っかることを拒んでいました。

それが,さいきんはカウンセラーや精神科医に意義を感じている。

なぜ私のこころもちは変化したのか。
「限定性に耐える力」はこの疑問へのいちおうの回答です。 

 

まず,「限定性」とは何か。

カウンセラーや精神科医は,職業という立場から離れれば,是枝裕子や舛田健史といった固有名を持ち,自分の人生を数十年かけて生きてきた重み・厚みのある人間存在です。

しかしながらカウンセラー是枝氏や,精神科医舛田氏は,
是枝裕子や舛田健史の重く・厚い存在の一側面(職業という一側面)を切り取った部分的な存在にすぎません。

これがカウンセラーや精神科医の「限定性」です。つまり彼女たちは全体的な人間存在ではなく,部分的な人間存在だということです。

 

カウンセラーや精神科医の存在が「限定的」であることは,患者である私たちに何を要求してくるでしょうか?

 

そう,私たちもまた「限定的」存在であれと要求してきます。

 

カウンセラーや医師の「限定性」は,患者に「あなたもまた『限定的』存在であるように」要求する。つまり,心理ケアの場は,大谷彩奈(わたし)を,人生を十数年かけて生きてきた重み・厚みのある全体的な人間存在としてとり扱うことを,基本的には拒否する構造になっているのです。

これが,患者である私たちに求められる「限定性」です。心理ケアの場では,私たちは全体的な人間存在としてカウンセラーや医師と関わるのではなく,部分的存在として交流するように求められます。

では,「限定性に耐える力」と何か。

 

それは患者である私たちが,カウンセラーや精神科医の「限定性」に,そして私たち自身の「限定性」に,心理ケアの場において耐える力のことです。

「限定性に耐える力」には,「承認」の問題が深く関わってきます。

 

「限定性に耐える力」と「承認」との関係とは何か。

 

以下,「承認」の分類を概観しておきます。

 

「承認」は

①他者(社会)からの承認

②自分による承認

に二分されます。

 

①他者(社会)からの承認はさらに

①-1帰属による承認

クラスや部活やゼミなど,何らかの組織に所属していることによる他者からの承認

①-2機能による承認

高い運動能力によってクラスをクラスマッチ優勝に導いたなど,自分の果たす何らかの機能によって得られる他者からの承認。愛着論での「条件付きの愛情」に近いでしょう

①-3存在それ自体による承認

わたしが存在しているというただそれだけによって得られる他者からの承認。愛着論での「無条件の愛情」に近いでしょう

に分けられます。

 

以上,「承認」の分類です。

 

わたしの経験に基づく仮説ですが,心理ケアの場の「限定性」に耐えるには,「承認欲求」がある程度みたされている必要があるようです。

 

発達障害であるわたしは,これまで家庭や学校で他人と適応的な関係を築くことにことごとく失敗してきました。そのため他人から承認を得られた経験があまり無いんですよね。

また,一部のASDはそのこだわりが社会のニーズと合致し,①-2機能による承認を得られている場合がありますが,わたしのこだわりは社会ニーズとは相性が悪く,機能(能力)を認められる機会もありませんでした。

 

①他人(社会)からの承認が得られない場合,②自分による承認 が生じることも難しいですよね。つまるところ,わたしは承認不足に陥っていたのです。

 

しかしながら大学で,とあるコミュニティ(大学内での陸の孤島のようなコミュニティです)に入り,①他者からの承認 および②自分による承認 が少しずつ溜まっていきました。

それにともなって,心理ケアの場の「限定性」に耐えられるようになっていきました。

 

カウンセリングや精神科による心理ケアにうまく乗っかるためには,「限定性に耐える力」 が必要なのではないか。これについての考察はおしまいです。

 

かつて心理ケア無意味派であり,現在は転向した方。なぜ考えが変わったのか教えて頂けるとうれしいです。